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「それ、思い込みではないですか?」ソクラテスをも悩ませたアンコンシャス・バイアスとは?

「それ、思い込みではないですか?」ソクラテスをも悩ませたアンコンシャス・バイアスとは?

by fszalai via Pixabay

職場や街中で若い人の振る舞いに違和感を覚えて、つい「まったく最近の若者は!」と思ったり、言ったり、または他の人がそう言っているのを聞いたり・・・そんなことはありませんか?

ソクラテスでさえ頭を悩ませていた?!

実は、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスでさえも当時嘆いていたのだとか。
ソクラテスの弟子であるプラトンが著した「Apologia Socratis(ソクラテスの弁明)」によると、ソクラテスでさえも「What is happening to our young people? They disrespect their elders, they disobey their parents. ~」(最近の若者はどうしたんだ。目上の者を敬いもせず親に反抗する~)と嘆いていたらしいのです。
今から2400年以上も前から「最近の若者は・・・」と言われ続けてきているのですね。
ということは、「最近の若者は!」と言った張本人も、かつてはそう言われていたのでしょう。
しかし、実際は全ての若者が同様ではないはずです。ましてや、昔の若者(今の年配者)も同じ状況であったのかもしません。
なぜいつの時代もこのように十把一絡げにしてしまうのでしょうか。

誰もが持っている無意識の偏見

その理由は、背景にアンコンシャス・バイアスの存在があるからかもしれません。
アンコンシャス・バイアスとは、心理学でいう認知バイアスに含まれるのですが、いわゆる「先入観」「思い込み」「無意識の偏見」といったもののことです。自分の知識や経験などをもとに「こうであるべき」「こうだろう」というフィルターにかけて物事をとらえている、とも言えます。

経験が増えるほど思い込みが増す?!

例えば、「若い人が優先席で寝ていて年配者に席を譲らない」という状況に遭遇した場合。
「きっと寝たふりなんだろうな」と思う方もいるかもしれませんが、実はその人は具合が悪く、数駅前で他の人から席を譲ってもらっていたのかもしれません。(そもそも“優先席”はお互いの配慮の上に成り立つので、年代を問わず譲ることを強制するものではない(強制したら譲り合いではない)ことが前提です)
このように、人は事実がどうか分からないにもかかわらず、目の前の事象を過去の経験などと結びつけ、勝手に決めつけを行ってしまうのです。これは自己防衛心の表れでもあり、脳が自分にとって都合の良いように捉えてしまう一種の脳の癖なのです。それ故に様々な経験をするほど、防衛に活用できる要素が増えることで、アンコンシャス・バイアスが増す可能性を持っているのです。

自分の言葉や思考に目を向けてみよう

無意識だからこそ、自分にどのようなアンコンシャス・バイアスがあるのかに気づくことがすぐには出来ません。だからこそ自分の言葉や思考にまずは目を向けてみることをお勧めします。
一例として次の質問に「はい」か「いいえ」で答えてみてください。
・ 「普通は〇〇だ」「それって常識じゃない?」と思うことがある
・ 「社長(親)が言うことだから正しい」と肩書や立場に正当性があると思う
・ 親が単身赴任をしていると聞くと、思い浮かべるのは「父親」
・ 「以前に似たトラブルが起きて大したことではなかった。今回も大丈夫だろう」と思うことがある
・ やる前から「自分には出来ない」と思うことがある
いかがでしたでしょうか?
「はい」と回答した項目は、アンコンシャス・バイアスになりうる可能性を秘めています。
確実には言い切れないことを断言したり決めつけるような言葉や思考が働く時には注意が必要です。

相手の見地に立って考えてみよう

時には無意識のうちに人を傷つけてしまったり、ネガティブ思考に陥ってしまう原因になるのがアンコンシャス・バイアスです。
例えば、こちらには悪意がないにもかかわらず、会話中に相手の顔が一瞬曇ったといった場合は、無意識のうちに何かを決めつけるような言い方をしてしまい、相手の気分を害した可能性もあります。このような違和感やシグナルを感じ取ったら、そのまま放置するのではなく相手に確認してみるのもよいでしょう。その際は相手の顔色を窺ったり、いきなり釈明をするのではなく、自分が捉えた事実を告げて相手に意見を聞くことを心がけてみましょう。

十人十色の鉄則を忘れない!

人それぞれ経験や知識は異なり、価値観も様々です。
「努力家だね」
この言葉を多くの人は肯定的に捉えるかもしれません。しかし、「努力」という言葉に対する認識の違いによっては「馬鹿にされた」と捉える人もいます。世の中は、定義があいまいで、解釈が人によって異なる言葉であふれています。前述したように、それまでの経験や知識、価値観などによって捉え方も様々です。だからと言って怖がっていてはコミュニケーションは取れません。「人それぞれ違う」ということを意識して、決めつけにならないように周囲と指摘し合えるような環境を整えるのも1つの対策になるかもしれませんね。

この内容にご興味をお持ちいただけた方は、ぜひこちらのコラムもご覧ください。

ジェネレーションギャップが組織の多様性を阻害する?!【前編】

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