
さて。では。
「その人をなぜダメと思うの?」
→こう思う可能性①:行動が遅いから
→こう思う可能性②:段取りばかりを重視するから
手順その壱: こう思う可能性①の掘り下げ
『ダメ→行動遅い→「行動が遅いのはなぜなの?」』
→こうと思う可能性③:やる気がないから
→こう思う可能性④:熟慮しているから
手順その弐: こう思う可能性③の掘り下げ
『ダメ→行動遅い→やる気がない「なぜやる気ないのか?」』
→こう思う可能性⑤:諦めているから
こんな手順で、もれなく、ダブりなく、なぜ(why)を掘り下げていきます。
掘り下げていって、なにかしっかりこないなぁと感じたら、
その時点から、別の項目のなぜ?に視線を向け
そこから又、どんどん掘り下げていきます。
「あいつダメだなーと思ってる」のは、主観にすぎません。
目に見える「なぜ?」(状態)を細かく探っていくわけです。
なぜ?に対する、答えを細かく拾い上げても、勿論、
最終的にその推察や結論が、相手にとって
合って(的を得て)いるかはわかりません。
でも相手を知ろうとしている姿勢は、相手にとっては
「自分を分かろうとしてくれている」と感じられ、
互いに相互理解をしようという「橋」が架かるんですね。
こんな風にデキル講師は、可視化できるものを「事実」を捉え
「それはなぜか?」と評価し、対処策「How」を繰り出していきます。
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